director院長紹介

森本健太(もりもとけんた)

略歴

神奈川歯科大学歯学部卒
神奈川歯科大学付属病院 研修終了
2012年 森本歯科クリニック開業

所属学会

日本口腔インプラント学会
国際レーザー歯学連合 認定医
国際歯科インプラント協会 認定医・専門医

スタディーグループ

大阪口腔インプラント研究会

幼少期

森本家の3人兄弟の1番末っ子で育った僕はとても甘えん坊で、小さい頃、父親の友人からプレゼントして頂いたアライグマのぬいぐるみに名前“ポン太”と決めて、おままごとをしたり、ギュッと抱きしめながら寝ていたことを覚えています。
父親は歯科医師で、昔ながらの亭主関白で、森本家では父親の言うことは絶対という環境で育ちました。兄とケンカしたり、悪いことをしたりすると、よく叩かれて、正座をしながら泣きながら怒られていました。

小学生の時は、兄が通っていた進学塾に週6、7日とほぼ毎日通っていましたが、勉強というものについていけず、成績はとても悪かったです。その中で、唯一の楽しみが塾以外に習い事をしていた習字でした。習字を書いている時だけが、何も考えず、無になりも黙々とひたすらに練習していました。その時の目標は、小学校の「書初め」で選ばれることでしたが、同級生で上手な子が多く、選ばれることがなかったのが悔しかったです。

小学校6年生の時に阪神淡路大震災が起こり、僕の家も半壊近く、須磨に住んでいた祖父母の家は全壊でした。幸いなことに大黒柱にしがみついていた祖父母は助かりましたが、祖父母の家の隣のアパートも全壊で、その時に、アパートの1階に住んでいた人の「助けてくれ!」という叫び声を聞いていた祖父母を何もできず、ただただ助かって欲しいと願っていたみたいでしたが、その願いは届かず、その方は亡くなってしまったとこと聞いて、小学生ながら災害の恐怖、生命の尊さを痛感しました。
そして、震災後に中学校受験をしましたが、不合格という結果になり、初めて挫折というものを味あいました。

歯科医師を目指すきっかけ

中学生の時は、私立中学校受験の失敗、両親に対しての反抗期もあり、少しグレていました。よく悪いことして担任の先生に怒られ、親を呼び出しされ、母親が泣きながら先生に謝罪をしていました。母親はとても優しく、常に僕の気持ちを理解してくれていました。その時の僕は母親のその気持ちが反対に辛く、なぜ俺はこの世に生まれてきたんや!と母親を悲しませる言葉を言ってしまうことがありました。今思うと、なぜそんな言葉を母親に言ってしまったんだろう後悔しかないです。悪いことをしながらも、勉強と相変わらず習字だけは真面目にやっていて、習字では初めて3年生の時に銀賞を獲り、金賞でなかったことが残念でしたが、達成感を感じることができました。習字以外に、美術や技術・家庭科で何かを描いたり、作ったりすることがとても大好きで、その時から細かい作業は得意でした。

高校生の時は、中学校受験で落ちたところの高校をリベンジし、晴れて合格しましたが、1年間で部活サッカー部を辞めるなど、忍耐力が弱く、なにやっても続かない、すぐに諦めてしまう、中途半端な感じで毎日を過ごしていました。その時の趣味は友達の髪を切ることで、将来、美容師になろうと考えていました。もともと、何かをデザインしたり、人とコミュニケーションをとることが好きだったので、美容師が自分にピッタリだと思い、親にも賛成されてので、高校3年生の夏までは美容師になる気まんまんでした。すると、その情報を聞いた祖母から電話があり、猛反対されました。反対した理由が、親族全員が歯医者であること、何よりも、何に対しても、すぐに諦めてしまう僕の性格から、1度だけでもいいから真剣に勉強して、歯科医を目指しそれでもダメだったら美容師になりなさい!と普段全くキツく言わない祖母から叱咤され、おばあちゃんっ子だった僕は祖母の意見をスッーと聞くことができ、初めて、歯科医になると決意しました。夏休みの時から毎日、図書館で勉強しましたが、その時の学力は悪く、大学推薦入試を落ち、浪人する覚悟でしたが、運良く一般入試に合格して、念願の歯科医への道のりが始まりました。

大学時代

大学生の時は、2年生の時に歯科解剖学で歯牙彫刻の授業があり、手先の器用さに自信があった僕は、テストで落ちてしまい、自分の中で何かが崩れ落ち、悔しくて号泣したことを覚えています。テストの結果を聞いた父親からは「なぜ、不合格になったのか?」「自分が器用だと過信してないか?」「過信して勉強をおろそかにしてないか?」と言われました。図星のことを指摘され、悔しかった僕は、父親が製作した歯牙彫刻を見せて欲しいとお願いし、当時住んでいたところに郵送してもらいました。届いて見てみると、歯牙に形態の肝を抑えていて、美し過ぎる歯牙彫刻を見て歯科医である父親の偉大さ、アドバイスしてくれことに感謝の気持ちが込みあがり、気づいたら号泣してしました。

今の妻である志保と1年生の時からお付き合いしており、些細な事でケンカしたりしていましたが、お互いの気持ちを理解し、色んなことでお互いを励まし合い、サポートしてきました。妻の助けもあり、低空飛行ではありましたが、留年することなく、進級できましたのは、妻のおかげです。

5年生の時にインストラクターの鈴木先生に鬼のようにしごかれましたが、患者様とのコミュニケーション、インフォームドコンセント、ラポールの大切さをみっちりご指導して頂きました。今でも初心の気持ちを忘れることなく、患者様目線で診療できているのも、鈴木先生のおかげだと思っております。

6年生の時は歯科医師国家試験に向けて、毎日勉強の日々でした。今まで中途半端な人生を送ってきたので、後悔したくない気持ち、何よりも僕のことを誰よりも応援してくれた亡くなった祖母に恩返ししたい気持ちが強く、今までの人生の中で1番勉強しました。
その結果、無事に歯科医師国家試験に合格することができたことは、人生において一番嬉しかったこと、また、達成感を感じることができた出来事になります。

研修医時代から開業まで

研修医の時は、大学病院で4ヶ月間、神奈川県三浦市にある歯科医院で8か月間働き、歯科治療を行うにあたり必要な知識と技術を学びました。その中で、個人的に週一で鎌倉市にある高垣歯科医院で見学をさせていただき、入れ歯の技術、知識を学びました。僕の入れ歯の原点は高垣先生から教わったことだと思います。

研修医を終えると、父親の願いもあり、実家に戻り、父親の病院で働きました。父親は技術に対してのこだわりがとても強く、何よりもブレない歯科医師としてのこだわりを持つことの大切さを教えてくれました。今の自分があるのも父親のおかげだと思い、大変感謝しています。父親が歯科医師を引退宣言したタイミングと同時に身体が不調になり治療することが難しくなり、僕1人で父親の病院を院長代理として働くこととなりました。働く上で、色々な困難がありました、まずはマーケティングです。父親が不在というのもあり、患者数が減りました。そして、医院がある建物の老朽化、医院は2階でエレベーターがなく、階段だったのもあり、新患数が伸び悩みました。その中で、若い力を存分に発揮できるように様々な対策を行ってきましたが、正直、限界を感じましたので、父親の病院を閉院しました。また、歯科医として父親の背中を見ながら育ちましたが、いつしか父親を超えた存在になりたいと思うようになりました。そのためには、父親の医院ではなく、僕自身で医院を開業して、新しくチャレンジしたいと思い、小さい頃から慣れ親しんだ神戸市西区で開業することを決意しました。

アットホームなクリニックを目指して

森本歯科クリニックでは今まで学んだことを、少しでも来院して下さる患者様に貢献したい気持ちがあります。また、歯の話だけでなく、患者様の悩みなど様々な話をして、少しでもリラックスした雰囲気の中で、治療を受けていただきたいと思っています。歯医者はいきたくないところではなく、楽しいところだと言ってもらえるような、地域密着型のアットホームな歯科クリニックを目指していきます。そのために、僕は僕ができることを全力で取り組むことをモットーにしています。これからも変わらず精一杯精進していきますので、よろしくお願いいたします。


hoursスタッフ紹介

森本 志保
職種
歯科医師・歯科専門カウンセラー
櫻井
職種
受付・歯科専門カウンセラー
岡田
職種
歯科衛生士
森脇
職種
歯科衛生士
黒岩
職種
歯科衛生士
中馬
職種
歯科衛生士
藤原
職種
歯科アシスタント・管理栄養士

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